子供の高校受験で知ったその深い内容とは?親も学んだ勉強する世界と広がる未来。

「勉強って、子どもだけのものじゃなかった」ー子供の高校受験を通して、私たち親が直面した現実の気づき、そして見えてきて未来の可能性を、ひとつの記録として残しておきたいと思います。
塾通いが始まる
「塾に通いたいんだけど」中学1年の秋、息子が相談してきた。週末に体験入学があるので、まずはそこからスタートした。塾=受験というイメージだった。
後から思えば、すでに息子はこの時からどこの高校に行くのか、大学はどうするのか…など、色々と考えていたと思う。
勉強とは何かを問う時間
■親が知らなかった「今の勉強」
最初に驚いたのは、今の高校受験が私たちの頃と全く違うということ
・出題傾向は年々変化している
・都道府県ごとの独自性が強く出ている
・「思考力・判断力・表現力」を重視
・内申点と当日点の比重が複雑に絡む
・学校選びにも多様性(専門学科、探求コース、附属校など)
「これは、親が理解していないとサポートできない」そう感じた。一念発起して、私自身も調べ、学び始めた。知らなかった世界がどんどん広がっていった。
親も学ぶ「支援」と「干渉」の間
■勉強は誰のものか?
「宿題終わった?」などと、子供に声を掛ける前に自分に問い直した。自分が子どもの時に「親にどんな声をかけられたかったか」。親にできることは「教える」ことじゃない。学べる環境を整えること、気持ちのアップダウンに寄り添うことではないだろうか。
■ルールを決めた
家族で話し合ってきめたこと。
・応援はするが、スケジュールは子どもに任せる
・模試や結果の分析は一緒にやる
・失敗も成長の一部として受け止める
結果的に、子どもとの関係が以前よりも”対等”になった気がする。
模試というリアルな鏡
■数字は冷たい。でも誤魔化せない
模試の結果は、時に残酷である。目に見える数字に落ち込む子どもに、何と声をかければよいのか。
でも、この模試という存在は、ただのテストではない。「今の立ち位置」を教えてえくれるナビゲーションでもある。
。どこで間違えたのか
・どうすれば伸ばせるか
・どんな思考ミスをしているか
これを一緒に分析することで、親も「問題を解く目線」を手に入れていった。
勉強はテクニックだけではない
■メンタルの重要性
模試の結果に一喜一憂するも、確実に力がついてきていることを感じていた。そんな中、息子が言った。「日頃、できていないことが本番でやれるわけがない。だから日頃を大事にして、いつも通りがちゃんとできるようになる!」と。
勉強以上に重要なのは”本番力”だと、このとき初めて知った。
・緊張をコントロールする練習
・プレッシャーになれるためのもし受験
・イメージトレーニング
・睡眠と食事のリズム管理
ここからは「脳の働かせ方」や「メンタルトレーニング」の本を私も読み漁った。子どもだけでなく、親もまた”本番力”が求められているのだと思う。
志望校に行く意味ってなんだろう?
■合格=ゴールじゃない
よく考えてみたら「どの高校に行くか」よりも「高校でどう過ごすのか」の方が大事だということに気付いた。
・高校はあくまで通過点
・学び方や人間関係を築く力が試される
・進路の方向性が具体化する時期
親として「どこに合格するか」にとらわれすぎていた気がする。「合格」は一瞬、「その後の人生」は長い。そこに気づけたのは、受験を一緒に走ったからこそ。
親子で一緒に走った時間の意味
■結果よりも価値あるもの
第一志望の合格発表の日。いや、息子は受験が終わったその時に手ごたえはあったらしいが、無事に合格。合格者の番号が貼りだされた正門の前で、息子と握手をした。そして息子が「一旦は安心だね、こっから先も大変になるけど、またよろしくお願いします」そう笑顔で言った。
もう、この言葉に全てが詰まっていた。
・結果ではなく、過程を大切にする
・支えてもらった記憶が心の糧になる
・親子で本音で向き合えた時間
それは、合格発表よりもずっと温かく、深い価値ある経験だった。
受験が教えてくれた未来の味方
■学ぶとは、自分を育てること
高校受験というひとつの山を越えて、私自身の価値観も変わった。
・知ること、考えることの楽しさ
・変化に柔軟に対応する力
・子どもの中にある”未来を切り開く力”への信頼
そして何より、「学びは、一生続くもの」だと、心から思えるようになった
あとがき ~受験を終えて、親としてできること~
高校受験を通じて、私はただ子どもの背中を押していたわけじゃない。一緒に並んで、道を歩いていた。
これからの社会は、どんどん変わっていく。知識だけじゃなく「どう生きるか」「どう学び続けるのか」が問われる時代になる。
その第一歩を、子どもと一緒に踏み出せたことに、心から感謝している。
「勉強」は、未来への地図。親も子どもも、その地図を描く旅の途中にいる。